2015-11-14

「真意は語ることができない」みたいな言葉を読んだ

真意は皮膜の間に隠されていて目に見えないそうだ

確かにそうかもしれない

真意は感覚的で、ファジーで、掴めない

的確な表現はできないのだ

だから芸術などで感覚的に訴えようとするけれど、その受け取り方も様々

わたしの感じたままを相手も感じることは不可能だ

わたしは人は絶対的に孤独だと考えてる

友人や恋人、家族がいても、そういう部分で誰にもわからない感覚的な言葉にできないなにかは、誰しもあるんじゃないかと思う

それが自分の感性にも繋がるのではないかな

そう考えれば孤独は必要だし、相手のそこにずかずか土足で入ってはいけない

そういう部分と向き合って、自分がよくわかってくる

よく吸収し、ひとりになり消化し、最終的には還元していく事が大切ではないかと感じる

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